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「ゴミを拾う」のスピリチュアル的な意味、象徴やメッセージ

「ゴミを拾う」のスピリチュアル的な意味 メッセージ
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日本は街中に落ちているゴミが少ない国と言われますが、それでも目に付く事はあります。

見過ごせず「ゴミを拾う」事は、スピリチュアル的に意味のある行為です。

ここでは、「ゴミを拾う」のスピリチュアルな意味や、向き合い方について、詳しく解説していきます。

「ゴミを拾う」のスピリチュアルでの象徴や意味

仏教では、掃除そのものが、心の内の塵を払い、垢を除く修行となります。

また、人知れず拾ったゴミは、「陰徳」として徳を高め、良いカルマを積みます。

世の中に最初からゴミだったものはありません。

「もの」はただ、在るだけです。

それを人が使い終え、残ったものを取り除きたいと思う時、ゴミとなるのです。

ゴミは処理され、再び「もの」に戻ります。

ゴミを放置する事は、世界の循環を止める行為です。

これを、拾い上げるあなたは、世界の良い気の流れに従った事になります。

「ゴミを拾う」のスピリチュアルメッセージ

ゴミを拾おうと思う時や、拾った時の感情にメッセージは顕れます。

それに気付いた人の口から伝わる事もあります。

自分で捨てたゴミを、誰かに咎められて拾うような場合は、当てはまりません。

尚、職業として清掃に従事している場合、その行為は「仕事」です。

ただし、本来求められるよりも多く、隅々まで丁寧に拾っているなら「ゴミを拾う」行為として、メッセージは顕れます。

「ゴミを拾う」のスピリチュアル的な解釈

「ゴミを拾う」のスピリチュアル的な解釈は次の通りです。

「ゴミを拾う」いい意味での解釈

ゴミを拾った時、すっきり良い気分、心が軽くなった感じ、捨てた人への若干の怒り、拾ったゴミをどこに捨てるかという困惑、それを見ていた人から褒められる、といった場合は良い意味です。

あなたの徳が積まれ、魂が磨かれた状態です。

褒めてくれた言葉は、あなたを守るものからの感情を含みます。

拾ったものをどうしようか困るのは、「拾わなければ」という善性で行動した証拠です。

磨かれた心は、あなたを良い運命に導くでしょう。

「ゴミを拾う」悪い意味での解釈

ゴミを拾った時、捨てた人への極端な怒り、手が汚れたという苛立ち、なんで自分がという気持ち、もうしたくないという考え等が浮かぶなら悪い意味です。

それまでの人生の中で、心が傷つき疲弊し、本来の善性が間もなく途切れそうになっています。

この原因は、複数回、または信頼していた人から受けた1回の、善意に付け込まれる裏切りです。

深く傷つきストレスを感じた心は、善性を捨てようとしています。

このような時は、裏切った人から離れましょう。

真の謝罪があれば、あなたがこうも悩みません。

彼らにとって裏切りは成功体験です。

人間のゴミを拾うには、聖人並の徳が必要で、あなたはまだパワー不足です。

まとめ

他人の捨てた「ゴミを拾う」ことは、魂を磨く行為であり、世界の循環に従う事になります。

良い意味としては、徳が積まれ、心が磨かれた状態です。

悪い意味としては、善意への裏切りで傷ついた状態です。

このような時は、裏切った相手から距離を取りましょう。

そういう人を拾い上げられるのは、聖人だけです。

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